まだ誰も知らない、山小屋についての話

早稲田大学天文同好会WAXA55期。現WAXA山小屋管理人。山小屋から考える「どう生きるか」を自分なりに発信できればいいなと思っています。

僕が星空を探す理由(前編)

 SNSでも私生活でもやたらとアピールをしているものだから、天体観測の魅力は何かと聞かれることがしばしばある。口下手な僕はただ単にロマンチック、だとかカッコいいみたいな漠然とした回答で済ませることが多く、あまり長々と人に話したことはなかった。

 そのため今回のブログでは、そんな天体観測の魅力について少しだけ考えたいと思う。単に空を見上げることが何故そんなにも魅力的なのか、何故それを求め続けるのか、自分なりに纏めていきたい。そしてこんな世界もあるということを少しでも伝えられたらと思う。

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「天体観測」とは…

 

 一般的に天体観測というと、イカつい望遠鏡かなんかで星々を見つめるようなイメージだろうか。実際はもう少し意味は広く、一口に星を見るといっても色々な楽しみ方がある。冬だったら寒い中あたたかいコーヒーを飲みながら夜空を見上げるでもいいし、一眼レフで写真を撮る人もいる。先ほど出てきたように望遠鏡越しに天体を見つめる人だっている。

    加えて天文分野といっても多岐に渡っており、神話、星座、流星…などなど広範囲に広がっている。自分はどちらかといえば星座の名前や位置を覚えるのが好きなのだが、とにかく様々な視点から自分なりに深めることができるのだ

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    人によって「天体観測」の定義は異なってくるのはいいとして、好事家の中には「観測」と「観望」を使い分けたがる人もいる。辞書通りの色合いとしては、「観測」は何かある現象に対して計測をして記録をつけることで、「観望」とはとにかく空を見渡すこと、といった感じだろうか。一般的にはそういった区別が存在するが、あくまで自分の中ではどちらも同じものとしてみている。

 というのも、その区別自体を批判するつもりは微塵もないが、どことなく優劣をつけているような気がして違和感があるのだ。

  「観測」も「観望」もルーツは空に浮かぶ星を肉眼で見つめることで、大事なのは空に対して目を向けることである。肉眼だとどうしても星によってはかすんだりぼやけたりする、あるいはもっと細かな星の様相が知りたくて望遠鏡とやらが開発された。自分が見たその星空を残したくて、誰かに伝えたくてカメラを使う者も出てきた。時代が進むにつれて星を見る道具が増え、その結果楽しみ方も増えてきたし、研究する内容もより多彩になっていった。それらに共通するのは、遠い星に対して興味をもつこと。それだけである。ゆえに「生きている星に対して目を向ける」、これを自分の中での天体観測の定義としている。それと同時にプラネタリウムとの違いの一つである。

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 満天の星空なら都内でも見ることができる!?

 

 まさにその通り。池袋や渋谷でも、お金を払えば満天の星空を見ることは可能だ。ただ人工の星空だけど。プラネタリウムという施設がありましてね。1000円ちょい払ってチケットを買えば外は雨が降ろうが槍が降ろうが雲一つない綺麗な星空が見える。癒しのBGMやアロマの香りとともに見つめる星はまさに各別。プラネタリウムを通じて星空が好きになる人は多い。ただそれは「天体観測」とは言わない。プラネタリウムに行くことと「天体観測」の間には大きな壁がある。いや、自分が勝手に壁を作っているだけなのだが、そこに明らかな違いを見出している。その違いに関しては次回のブログに書くことにしよう。